原文(英語)著者:Jené Watson 1846年、テキサス共和国が解体し奴隷州として米国に併合されてから数ヶ月後、アーカンソー州議員であり農園主のウィリアム・スチール・リーブスは、これを好機と考えた。 リーブスは、アーカンソー州に所有する農園内の貴重品を全て幌馬車に積み込むよう奴隷に命じた。そして、所有地の正門に「G.T.T.」と書かれた看板を掲げた。 「テキサスへ移る(Gone To Texas)」 こうして西へ向かったリーブスの一行の中に、馬車の横を裸足で歩く8歳のバスがいた。馬車の一行は、白人の開拓者が「トラメルの道(Trammel’s Trace)」と呼ぶようになった道を列を成しゆっくりと進んで行く。 レッド川にたどり着き、プレストン・ベンドに入った一行は、バイソンの群れやふわふわとした綿花が咲き誇る畑を見て喜んだが、川のすぐ反対側にあるインディアン領には立ち入らないよう気をつけた。そこは、あらゆる無骨者や無法者が移り住んだ西部開拓時代の中心地であり、それまでに多くの命が失われてきた場所である。 リーブス農園でのバスの主な仕事は、家畜の世話と畑で働く者の喉を潤すために大量の水を運ぶことだった。若き日のバスは仕事をしながらぎこちないコリードを歌い「息子は成長したら立派な大人になれるはずなのに」と母を心配させた。 しかし、パーリー母さんが心配する必要はなかった。ジョン・ヘンリーやハイ・ジョン(勝利者のジョン)のように、彼女の息子も偉大な人物としての道を歩んでいたのだ。 その道とは… 1863年の奴隷解放とそれに続く南部再建の後、バスはインディアン領、アーカンソー州、テキサス州を転々とした。風が変わるように移り住んだバスの形跡を辿ることは難しいが、憲法修正第13条によって法的に自由の身になるまで目立つ振る舞いは避け、この条文が成立した頃、混血のテキサス人女性であるジェニーと結婚したことが分かっている。バスとジェニーは、バスの故郷であるアーカンソー州のインディアン領に隣接するバン・ビューレンに家を構え、自分の所有する土地で農業を営みながら1870年までそこに暮らした。バスは時に偵察隊員や追跡隊員を務め、そのため夫婦と大家族が暮らすための立派な家を建てることができた。 南部再建も終わりに近づいた1875年、首吊り判事と呼ばれたアイザック・パーカーが、米国政府の任命を受けインディアン領の管轄者に就任する。パーカーはジェームズ・ファガンを連邦保安官に任命し、200名の保安官補を集めて優秀な部隊を作るよう命じた。バスはこの隊員として真っ先に選ばれた1人である。 しばらくして州間の戦争が勃発すると、バスはウィリアム・リーブスの息子であるジョージの従者として戦地に駆り出される。ジョージは南部連合軍に参加していた。この南北戦争中、バスはカードゲーム中に起きた喧嘩でジョージを打ち負かし、慌ててレッド川を渡りインディアン領に逃げ込んだといわれている。バスの子孫によれば、バスはチェロキー国家と共に戦い、連合軍の大義に貢献したという。ムスコギ語を習得し、クリーク族、セミノール族、チェロキー族の慣習を学んだバスは、「まるで料理人が自分の台所を知るように」インディアン領を理解できるようになったと、よく話していた。 赤褐色の肌で大きな体格のバスは、保安官補として颯爽とした雰囲気を持ち、自身が乗る馬よりも堂々としていた。顔から広がるたっぷりとした口髭がまるで鷲の羽のようである。優れた直感を持ち、45コルト弾を片手で、もう片方の手でウィンチェスターライフルを撃つことができた。決して最初に銃を撃つことはなかったが、銃槍を受けたこともなかった。 バスは、強姦者や馬泥棒、酒の密輸人、殺人犯さえも恐れなかった。バスに敵う者はなく、現場に到着した彼に抵抗する者はほとんどいなかった。彼が無法者の追跡に出て行き手ぶらで帰ってくることは決してなかった。 この時代の多くの者がそうであったように、バスも読み書きを学んでいなかった。令状が出されるとそれを誰かに声を出して読ませ、その明敏さで全てを詳細に理解した。しかし、アルファベットの読み方を知らないことに対してバスが周囲の同情を引くようなことはなく、彼はいわゆる「生来の知恵」をふんだんに持ち、人、土地や状況をたやすく理解することができた。肌の色や信念を問わず、これほど多大な尊敬を受けた人物は他に少ない。 1907年、バスは保安官を退職し市警察官となった。同年、オクラホマが連合国に加わった最後の州となったが、バスもこれを喜んだ者の1人であったことは間違いないだろう。バスは、多くの若者が早々に命を落とした場所で30年以上も戦い続け生き残った。バスの優れた働きぶりにより、その名と功績は彼の死後も生き続けている。当時も今も彼と同等の規範を持つ者は多くない。 ご存知でしたか。 バスの世界についてもっと知るには… ムスコギ警察仲間とバス・リーブス(一番左の杖を持った男性)
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Happening Now: Queen of WE Episode 1
Do you have what it takes to stand at the top? Do you have the strength to overcome any obstacle? What if that obstacle was society itself? Join us in watching the women soccer players of Japan on their journey to make their dreams a reality. Produced by Tofu Media Production, founded in 2015 byContinue reading “Happening Now: Queen of WE Episode 1”
Especial de San Valentín: Expresar el amor en todo el mundo
Escrito por Mo Stone (versión original en inglés) A medida que se acerca el 14 de febrero, muchas personas se preparan para expresar su amor a través de regalos, flores y llevando a su pareja a una cita especial. Pero aunque el Día de San Valentín ha crecido en popularidad a nivel internacional, hay muchasContinue reading “Especial de San Valentín: Expresar el amor en todo el mundo”
バレンタインデー特版:世界の愛の伝え方
原文(英語)著者:Mo Stone 2月14日のバレンタインデーが間近に迫り、多くの人が自分の愛を伝えるためにギフトや花束、または好きな人との特別なデートの準備をしている最中です。バレンタインデーは世界的に人気がありますが、それぞれの文化によって異なる祝い方があり、愛情を表現するのための独特なお祭りがあります。 世界的な愛の日 ウェールズでは、1月25日は聖ドゥインウェン・デーと呼ばれ、人々はこの日に愛を伝えます。聖ドゥインウェンは4世紀のウェールズの王妃であり、現在のウェールズでは恋人と動物の守護聖人とされています。昔から恋人たちがお互いに手作りの美しい「ラブスプーン」を贈り合います。近年ではカードやチョコレート、その他のギフトも良しとされます。 アルゼンチンの愛の日は、1日で終わらず丸1週間続きます。7月の第1週目に祝われるスウィートネス・ウィークは、1980年代に菓子メーカーの宣伝活動として始まりました。しかし、これが人気を博し、現在では祝日となっています。この1週間の間、愛する人に甘いお菓子を贈り、そのお返しにキスをもらいます。レストランはロマンチックなデートを楽しむ客で溢れます。アルゼンチンの人々は、この祝日を甘いお菓子を贈り合うための日としてだけではなく、周りを親切にそして寛大に扱う期間であるともしています。 韓国のお祝いは、その規模が違います。可愛いものやロマンチックなものが大好きな文化である韓国は、現在では多くの若者が暦とは関係なく年に12回、毎月14日になるとその日を祝います。2月14日のバレンタインデー以外にも、1月14日の「カレンダー・デー」には、何も予定が書かれていないカレンダーをカップルや友人同士で贈り合い、6月14日には「キス・デー」を祝い、8月14日の「グリーン・デー」には、カップルがソジュ(通常は緑色の瓶に入った韓国焼酎)を飲んで自然の中をお散歩します。シングルの人にも4月14日の「ブラック・デー」があり、この日は恋人ができるように願って黒い麺の料理を食べます。 バレンタインデーの違った祝い方 日本でも2月14日にバレンタインデーを祝いますが、その祝い方はあなたの想像と少し違っているかもしれません。バレンタインデーには、女性がチョコレートやギフトを買い、それを男性の友人、恋人、時には同僚にさえ贈ります。そして、3月14日の「ホワイトデー」に、今度は男性が1か月前のギフトのお返しとして、ホワイトチョコレートなどの甘いお菓子を女性に贈ります。 フィンランドとエストニアにも2月14日のバレンタインデーはあります。しかし、この2つの国では恋愛の愛だけではなく主に友情を祝います。この「友達の日」は、フィンランドでは「ユスタヴァン・パイヴァ(Ystävän Päivä)」、エストニアでは「Sõbrapäev(スブラパエヴ)」と呼ばれ、人々はカードやギフトを贈り合ったり、大切な人とお出かけしたりしてこの日を祝います。この特別な日に誰かが仲間はずれにされることはなく、家族同士、友人同士、恋人同士など、いろいろな形で祝われます。 ここに挙げたのは、ほんの一握りの世界の愛の祝い方ですが、あなたのお気に入りはどれだったでしょうか。下のコメントで教えてください。
Valentine’s Day Special: Expressing Love Around The World
As February 14th draws nearer, many people are getting ready to express their love through gifts, flowers, and taking their love interest out for a special date. But while Valentine’s Day has grown in popularity internationally, there are many cultures who celebrate this holiday differently, or have their own unique festival days for showing love.Continue reading “Valentine’s Day Special: Expressing Love Around The World”
Winter in Japan: Festive Occasions All Season Long
Written by Mo Stone Although Japan may be best known for it’s spring and autumn, there’s still plenty to see in the winter. The weather in many of the bigger cities such as Tokyo and Kyoto remains mild enough for sightseeing, and the snowfall in regions like Hokkaido and the Japan Alps bring many skiersContinue reading “Winter in Japan: Festive Occasions All Season Long”
Halloween Around the World
Written by Mo Stone As the weather grows cooler, there’s one holiday at the end of the month that is getting us excited: Halloween! Nowadays, this fun holiday of tricks and treats is a popular one, but where did it begin? And where in the world can you go to get your costume on? ReadContinue reading “Halloween Around the World”